前回の「クマ」を読んでなんじゃこりゃと思った方もいるかと思いますので説明します。
私は数年前から物語を描くのに目覚めて、差別をなくしたいという気持ちで作ったり、人間の自分勝手さなどを題材にしたものを書いています。そんな中絵本にしてみたいという思いもありお金をためて出版を夢見ています。
今回の「クマ」はまさに今のクマが街に降りてくるニュースが多かったため、もちろん被害にあわれた方は本当につらいと思いますが、クマにも理由がありクマだけじゃなく動物たちが車にひかれているのも人間の身勝手さが生んだ事故でもあると思うんです。
#何かいい方法はないのか…
#人と森が争わずに住む道はないのか!?(もののけ姫より)
突然ですがそんな私の人生を、振り返りたいと思います。お付き合いください。
私は1984年6月に田んぼと線路の隣にある家で生まれ育ちました。
毎日、田んぼでザリガニやカマキリを捕まえるのが最高の遊びでした。
#疲れを知らず遊びに没頭する少年時代
そんなこんなで自然に囲まれて育った私は自分で言うのもあれですが学校ではスポーツ万能で、短距離走も長距離走も早く、なぜかバスケも得意でした。6年生の時は1000m走で3分4秒という記録でいわき市1位になったこともありました。
でも一番夢中になったのは小三から始めたバスケで、NBAを毎日見ていたら、スーパースター達に憧れて、将来の夢はNBA選手でした。
#中学の進路相談で「就職先はNBA選手です」と言いました。 #先生に鼻で笑われた
高校でももちろんバスケを続けましたが優勝できず、じゃあ大学で頑張ろうと進学しますがコーチと合わず1年で辞め、社会人クラブチームで頑張ろうと意気込んでいましたがなかなか勝てず。
20歳で子供ができ、26歳で3人の子供に恵まれ、気が付けば中央市場で魚の卸業をやっていました。
#できちゃった婚ってやーつ #バスケどころじゃなくなった #女とバスケ…どっちを選ぶ?
とにかくバスケどころじゃなくなり家庭を守るために必死で働き、市場で深夜1:00~17:00、18:00~23:00までレンタルビデオ屋で働きました。
1時間寝て、また市場で働いて…この繰り返しで生きていました。
#生きてる心地がしなかった #過酷すぎて常に眠い生活
5年続けましたが勇気を振り絞って市場を辞め、給料が良いところで働こう!と何もわからないまま医療機械の営業へと転職しました。
#まったくの別世界へ #長ぐつからスーツの革靴へ
そこでは入社してすぐに所長に「ぼろくそ」に怒られ、今まで何をしてきたんだ!?何を教わってきたんだ!と人間否定。殴られ、怒られ、父親になってから人に怒られて泣くとは思ってもいませんでした。
しかしそれがきっかけで恥を捨て、がむしゃらに必死になって働きました。夜中まで勉強し、慣れない土地を覚えるため担当地域を休日車でぐるぐると周り、鏡に向かって営業トークの練習を繰り返し、メモにセリフを書いて覚え、そんなこんなで少しずつ成績が伸びていきました。
#今まで何をしてきたかなんて関係ない #今を学べ
それから強化された営業術により機械が売れ始め、徐々に仕事が楽しくなっていきました。
しかし、当時の所長となかなかうまくいかず、理不尽に我慢できず、ついに退職を決意しました。
次に転職したのは、引っ越し屋さんでしが…
つづく。
#続くんかーい! #クマの伏線回収は??

